お友達のお母さんがお亡くなりになりました。
長い間、疎遠になっていたので会うのは本当に久しぶりになります。
会っていない時間が長すぎた方からの訃報を貰うと
お通夜や葬儀におじゃましてもいいのかしらと思う気持ちもあるのですが、
そんな気持ちをもちつつもなるべくお伺いするようにしています。
私も生まれてからずっと同じ家でくらしてきた祖父を7年前に亡くしました。
毎日同じ食卓でごはんを食べていたのですから
悲しいとかせつないとかつらいとかいう感じとは違う状況になりました。
私のつたない文章力では言い表すことができません。今でも。
ひとことでいうなら、伝わらないかもしれないけどギアが入れ替わりました。
そんな時に、お焼香にきてくれた友達や知り合いや、
その時には疎遠になってしまっていたヒトタチもいましたが
なんで来たの?なんて思った方はもちろん1人もいませんでした。
言葉を交わすことはないんだけども目を合わせて会釈を交わす動作から、
不思議なことに元気とか気力とかをもらうことができました。
こころからありがたいなぁ、と思ったのをよく覚えています。
なので訃報を耳にすることがあったら、出来るかぎりお別れに伺うことにしています。
誰かが亡くなった時に、私はいつも思うことがあります。
訃報を聞くと、みんながお別れにやってきます。
普段忙しかったり、遠方に引っ越してしまってなかなか会えないようなひともやってきたりします。
そんな様子をみていると、
亡くなったひとからの最後のおくりもののような感じがします。
それを受け取ることは
生前の縁の深さとかとか交流とかにはあんまり関係ないようにおもいます。
生前にかするほどでも接触があれば、訃報という形で届けられる可能性がだれにでもあって、
受け取れた人たちがその方とお別れする席で、
ご無沙汰してます。ひさしぶり。といって、
また縁を結びなおす機会を貰っているような感じがするんです。
…こんなことを思うのはなんかおかしいのかな。
まぁ、あんまり口に出すこともないし、いいか。
そんなわけで、今日もこれからなかなか何年も会うことがなかった当時のお友達と、参列してきます。
疎遠になっていたお友達と会わせてくれることを感謝し、そして心からご冥福をお祈りいたします。
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